日本人と中国人

取り巻く環境・世界

日本人は、中国人が犯す他人に迷惑な行為を、取り沙汰しては、批難することも多いです。

ただ、自分の知る限り、簡単に、店員に土下座を要求する民族は日本人しかいないと思っています。

ユニクロ店員が遭遇した厄介な客たち。“レジ5秒待ち”でキレる客も

海外で働くと、普遍的に唱えられている、「中国人の印象」は塗り替えられます。

陽気で、情があり、思いやりもあります。反省もします。人に見習おうとします。

「中国人は・・・・」と言うこと自体が、「日本人は、蔑もうとする」と括られる結果になるのではないでしょうか。

日本人も、色んな人がいます。それと同様に、中国の方にも、色んな人がいます。

自分が学生だった頃、日本人の海外旅行での団体行動が、迷惑のように海外で報じられていたのを記憶しています。自分達、日本人も通ってきた道なのです。

公害問題もそうだと思います。高度成長期には、有害な物質の混入した排水を平然と、町の川に垂れ流していたのは事実です。

人種差別も今も、根強く残っている人々も日本人の中に明確にいます。

私は、民度が高い民族は?と問い詰めて考えてみれば、それは。それは、反省できる民族、良い方向に変わることのできる民族・軌道修正できる民族だと考えるようになりました。

軌道修正している人を、攻撃していた側から、支援する側に変わることのできる民族。

赦すことのできる民族、つまり、やはり、それは、「変わることのできる民族」にしかできないのだと考えます。

どちらが、どちらとかでなく、「個」だと思うのです。日本の中にも、ある人は、時代の潮流に逆らって、経験則で生きようとする人もいれば、趨勢に合わせて変えていく人もいます。

中国人とか日本人とかは、今や、あまり関係ないのではないでしょうか。

それより、「個」の判断に影響を与える、国の風習・風土、慣習・雰囲気は、重要であると思います。

その点では、島国でやってきた日本は、グローバル化の波に乗り切れていないのではないかと思います。

「こらぁ、店長出せ、店長を。」とマウントしている間に、もの凄いスピードで、反省や失敗を繰り返して、「赦す心」を体得して、正常なことが受け入れられ易い「世界=グローバル」な世界で力を付けて、のし上がりつつ「個」や、それを支える「国」が抬頭してきているように感じます。

それは、1990年の時価総額の世界トップ10を、日本の企業が総ナメにしていた頃と、今の世界トップ10を輩出する国々とを、比較してみたときに如実に、そう感じるのです。

世界時価総額ランキング(2020年1月)

世界時価総額ランキング(1989年)

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