「日本が向き合わなくてはならない現実」と「日本の選択の根底にあるもの」

取り巻く環境・世界

在宅ワーク主流化で日本が一歩「進化」したもの

今まで変わらなかった、変えれなかった悪しき因襲が、皮肉にも、今回の新型コロナ対策=在宅ワークが主流となったことで変わりつつある。

「会議」がなくなったことでなくなったこと。それが、巷で言われている、

無駄なおしゃべり

忖度

ということだ。

法学部出身同士だと、解決案や解決への道のりが似通う説

「真偽は不確か」。それを言ってしまえば何でもありになってしまうが、確固たる持論である。

今まで社会人生活30年を過ごしてみて、そう感じることは何度かあった。

それは、ちゃんと勉強したか、しなかったかに関わらず、多少なりとも、かじっただけでもそうなる。

民法や刑法の考え方に少しでも触れると、出身者であれば、ある程度は、「この問題、法的には、こうして処理されるだろう」みたいなものが分かる。

それは、折々の問題解決時にも言うことができる。道のりを考えるときに、「この考え方とこの考え方なら、法の下に照らせば、こっちの方が民法に適っている」という判断を無意識的にしていることがあるためか、解決策の考え方が似通うことがある。

ただし、このことは、法学部がどうのと偉ぶるなんてことは毛頭なく、それは経済学部でも、商学部でも、文学部でも、どの学部でも言えることだ。解決案を思い巡らすときに、習ってきた道によって共通項が出てくるのは当たり前っちゃ当たり前だ。

野球部とサッカー部、テニス部、吹奏楽部、書道部など、経験者同志で、物事に関する見解が似て来る箇所が少しでもあるというのと同じだ。例えば、ラグビー部、野球部だったら、根性論を理解する人もあるだろうし、文化部だったら精神面での共通項を見出すことも多い。

日本の中でじっくり育つと、日本の良さだけに固執してしまう

そうした持論を持って更に一歩踏み込めば、「海外で暮らして働いたことのある人」と、「そうでない人」で考え方が似通うことも少なくない。

日本人は、確かに往々にして働き者であり、真面目であり、勤勉であり、和を以て尊氏とする人が多い。それは、海外に行くと、本当に凄く感じることである。

日本人が海外で人を頼る局面があったとして、「日本人に任せておけば、まぁ大丈夫だろう」みたいな神話を信じている。

それは、実は、外国人にとっても、そう感じてくれている節がある。

但し、日本人は、「融通が効かない」という強い印象もセットで持ち合わせている。

海外では、グローバルスタンダードが第一に重要だが、そこでも、譲らない日本人が多く、ときに、困った民族みたいに思われてしまうこともある。

例えば、メールを使わず、ファックスを使ったりする一面。謝る必要のないところでも、畏れ多いくらいの陳謝をする一面。決して、こだわる場面ではないのに、こだわってしまう一面だ。

日本が向き合わなくてはならない現実

それは、グローバルな考え方ができないこと。

海外でよく起こっていたことがある。

海外派遣員は、それぞれが働いている国のことはよく知っている。
なぜ、日本製品が売れないのか、なぜ売れるのか。

日本本社にいる無知な幹部方々が、海外派遣員に対して、「なぜ、売れんのだ?こんな良いものを作っているんだ。売れない訳がなかろう。君たちの営業の仕方がまずいんじゃないのか?」と筋違いなことを言うが、いくら、そうでないことを説明しても、海外で少なくとも2年以上は暮らして働いてみたことのない人には理解できない。

逆に、暮らして働いてみたことのある人ならば、先ほどの法学部出身者同士の話よろしく、誰しもが一定の理解ができる。

正直、日本製品はそこそこブランド力はあるが、競争力はかなり乏しい。

一時よりは減ったが、「日本製品すごーい」みたいな番組のおかげで、日本国内だけで暮らしている人々は、日本製品に自信を持つだろうが、実は、そんなでもない。

親日国と言われ、全国の小学校の第二外国語に「日本語」を据えているベトナムでさえ、お店の商品棚に並ぶ品々は、肌感覚では、7割が中華系の息のかかったもの、1割が韓国系、残りの2割を欧米、日本の商品でしのぎを削っている印象だ。

文化コンテンツの浸透も、日本のものは一部マニアだけに人気。

日本が自意識過剰な中で起こっていること

煽てられて持ち上げられて、まんざら悪い気がしていない中で、非効率性を排除している欧米や中国、台湾、新興国がしていること。

それが日本を大きく上回るIT化だ。

去年2019年10月にはユニクロ柳井社長が、「このままでは日本は滅びる。この30年間、全く進歩してない」と発信した。

同じく去年7月にはソフトバンク孫正義社長が、「日本はAI後進国」「早く自覚してほしい」と発信した。

極めて少人数の苦情に対しても抗えずに、全ての施策が、そちらへ引っ張られていく日本社会は脆弱そのものだ。

小学校の運動会に「ビデオ判定を導入すべきだ」みたいな稀有な苦情に小学校全体が引っ張られるのに象徴される日本社会は、海外から遅れを取る結果になっている。

結果、日経新聞(2020年4月8日朝刊)「自動運転、中国勢が猛追 米加州の公道試験ランキング 3位ポニー、走行距離前年の11倍 4位百度、めざすは世界標準」の記事によれば、お家芸たる自動車分野の「自動運転」で、アメリカのみならず、中国に大きく後塵を拝している。

もっと身近な実例を出せば、このところの、新コロナウィスル禍による現金給付、対策融資に関わる事象。

「硬貨のやりとりで新型ウィルス感染」とか、中国からしたら、「どうした?日本」だろう。
QRコードを発明した日本よりも、急速にQRコード化を進め、現金による支払を皆無に等しくしている中国。中国では、今や、道端に座る物乞いですら、空き缶の上に立てた札にはQRコードが印字されている。QRコードで募金している先進時代だ。

スイスは中小企業向けに即日融資を敢行している。なぜ、そんなことが出来るのかを探ってみるがITが進んだ国でないと困難かと判断がつく。

現金給付も日本では即日とは行かない。

マスク配布も郵便代金に約50億円とも囁かれる。他の先進国からすれば、とんだ「茶番劇」だ。「なぜ、どこかに集約して配って、そこまで各自取りに来させないんだ」と。

日本では、やれなんだかんだと政府への苦情が来るだろう。また、IT化もままになっておらず、取りに来た人のチェックが、却って困難だ。

台湾では、周知の通り、マスク不足が起きていない。ITにより健康保険証と各個々人と紐付き管理され、取りに行けば、確実に一人ひとりが安定供給を受けるシステムが出来上がっているからだ。

こういう苦難の局面において、国民全体を相手に処置を施していくとなると、人手では全く事を成さず、やはりITなのだ。

それさえ気付かずに、ガラケーの復権、FAXの普及、中には、個人情報保護を名目に電子メールの使用さえも禁じている企業があると聞く。

柳井社長、孫社長が、日本のゆく末を憂慮して、雄叫びをあげられるのも心から理解できる。

オレオレ詐欺の高度化、少子高齢化とともに、日本は、IT分野、自動運転分野をはじめ退化に等しい動きをしている。

穿った見方をすれば、即日給付が出来ない理由の一端は、我々国民の、グローバル社会の無知や、IT回避にも起因する。

日本の会社が、日本の組織が、日本の会合、日本のチームが、そのときそのとき行う「選択」。その際に考慮している「選択の根底にあるもの」

そして、安倍首相が、どこか奥歯に物が挟まった表現をするのも、超少数ではあるが過激な苦情への防御、高齢者を中止とする票田への配慮、大きな組織への忖度、色々なものが見えてきて仕方がない。

フィリピンの鉄血宰相「ドゥテルテ大統領」は、麻薬撲滅を狙って、「麻薬捜査なら殺人に問わない」と公言して、麻薬取り締りで5000人を死刑に処した。そんな彼は、今回、「隔離措置の違反者は射殺する」と言った。安倍首相が、日本でそんなことを言ったらどうなるだろう。

一方で、今回、新型コロナ対策費用捻出のため、「ドゥテルテ大統領と議員200名給与1ヶ月全額寄付」を打ち出している。

忖度を必要としない国は、本当に力強い。

日本は、何かを選択する際には、真っ直ぐではいけないらしく、根回し、忖度、苦情回避が必要だ。それは、首相だけでない。我々の直ぐ身の周りにある何かの会合ですら、その時の思いつきで言ったなら、直ぐに呼ばれて、「俺は別に良い。ただな。◯◯の事を考えれば、あれは短絡的、軽率だったぞ」と耳打ちされる。

その社会にあっては、世界をリードする決断も、国民を守る信条も削がれてしまう。

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