日本人が得意とすること

人生・人世・人間関係

例えば、日本に何かを修行にしに来た外国人がいるとします。例えば、マラソンや短距離走だとしましょう。

世話役人は、ごく普通の、日本の高校生や大学生の部活に入れたとしましょう。

その時、それを知った日本人は、その外国の人が、まともな人、志高い人であるという前提があるなら、「これで安心」と思うことでしょう。

ときには、喧嘩もすることもあるけれど、お互いに切磋琢磨して、最高の青春の一幕を共同作業で作り上げていくということが、まず、思い浮かぶからです。

自然浄化というか、日本人なら、お互いがお互いを思い合って、力を伸ばしていく場になると、日本人や日本に長くいる海外の方も含めて、自身で、そう感じています。

日本人の(そうした部活等の、いわゆる”頑張る集団”の中に入れておけば、きっと、その中で、友情も育み、厳しさを知りながら、力を伸ばしていくっていう自負があります。

「また、日本人特有の自画自賛?」という声も上がるかも知れませんが、部活や、同じ志の仲間で集まった集団であれば、日本ほど、しっかりした集団はないというのは事実です。

日本人にも欠点はありますが、世界を経験してきて、この点は、断言できることです。

よく、50人51脚みたいな番組をやっています。小学校のクラスが挑戦するやつなのですが、あれは日本の小学生しかできません。軍隊主義と揶揄されれば、全員のヤル気が大半ですが、自主練習などの、ある程度の強制を強いている部分を捉えられてしまうと、否定できな部分もあります。

ただ、海外の小学生は、ほぼ、あんなことは出来ません。技術的ではなく、全員のためにという精神がないからです。

同じく、100人で飛ぶ縄跳びとかもありますが、あれも日本人にしかできません。思い上がりではなく、本当に真実なのです。

部活動を経験された方は、ある程度、理解することができるかも知れません。

野球で、100本ノックをやっていると、最後の一人が終わるまで、他の、終わった部員が、どっかに勝手に行ったり、座り込んだりすることなく、一人残らず、中腰で、天を仰ぎながらも、最後の一人の最後の一球まで、全員で、めちゃくちゃ大声を出し続けて応援したりする場面があります。女子バレーでも、レシーブを受け続ける最後の一人が終わるまで、一人たりとも休むことなく、膝に手を当てながら、「ファイトォー」って声を掛けているシーン。声を掛ける自分自身、立ってもいられないのに、です。

今の時代、あのシーンを「美徳」としてはいけないのでしょうか。あんなことは、海外では考えられません。自分が終わったんだから、部室に戻って休む、人のことなんて、関係ないからです。

50人51脚や、100人縄跳び、そして、その部活のシーン、いずれも、他の人のことを考えるという文化が根っこから根付いていなければ、本当に難しいことなのです。

昨年ラグビーのW杯で、リーチマイケル選手が、日本のそうした精神を貫いていましたが、彼も、高校生の頃から、そうした精神に触れ続けてきたからこそのチームの精神なのです。それを彼は、世界に証明したかった気持ちが強かったと思います。

日本では、古くから伝統があるのに、世界では、根付かない「駅伝」もそうです。

「なんで、自分が10kmを走れば早くて一番になれるのに、わざわざチームでやって、一番になれないなんてアホラシイ」となります。

“ONE FOR ALL, ALL FOR ONE” 日本が掲げたものですが、実は、本当に世界の場で、あれを地でやることはほぼ不可能です。

「じゃあ、なんで、世界のラグビーの選手は、チームワークなくして勝てるのか」となるでしょう。

それは、同じ目標を持って、チームワークが全くないわけではありません。同じゴールを目指して頑張るという精神は存在しますが、日本人が普通に考えられるチームワークとは、かけ離れたものだと思います。

野球の部活で、100本ノックをやっていると、最後の一人が終わるまで、他の、終わった部員が、どっかに勝手に行ったり、座り込んだりすることなく、一人残らず、中腰で、天を仰ぎながらも、最後の一人の最後の一球まで、全員で、めちゃくちゃ大声を出し続けて応援したりする場面があります。女子バレーでも、レシーブを受け続ける最後の一人が終わるまで、一人たりとも休むことなく、膝に手を当てながら、「ファイトォー」って声を掛けているシーン。声を掛ける自分自身、立ってもいられないのに、です。 それなのに、他の人の最後のレシーブ成功まで、フラフラになりながらも、応援するなんてことは、本当に、世界では、無理なのです。

世界的にどちらが良いのか、良くないのかは定かではありませんが、日本人、日本で長く暮らしている人達には、それがチームワークだと普通に感じ取っているのです。言葉にすることもなく、当たり前のように、そう感じているのです。

最後に、繰り返しになりますが、小学生、しかも、あの競技に挑戦したのは、全員が全員のためを思える特殊なチームということでも、1チームや、2チーム如きでもありません。何年に亘って、何百というクラスが挑戦しているのです。

本当に、そんなことを考えて、何百というチームが、「普通」に参戦する国は、日本しかないと信じます。繰り返しますが、自画自賛とか、思いあがっているということでなく、「事実」なのです。

それが出来るから偉いとか、出来ないから偉くないとかという次元でなく、それを、出来ることが、日本人の特長であり、日本人の尺度からしたら、「凄いこと」なのです。

海外からしたら、ひょっとすると、「全くナンセンスな競技だ」「そんなことが出来てなんになる」「一人で走って一番早いことが、オリンピックにもなっているのだから、それをしない手はないだろう」となるのかも知れません。

それはそれで、世界の尺度からしたら、「正常な考え」なのかもしれません。

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