「五十にして惑ふ」は、まだ先を見ている証左
今回、本木雅弘にとっては”人生初”となる密着取材を受け入れた。
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見ているが、我々世代から見ると、モッくんも、味の深い良い役者になったなぁと感慨深く、感心ひとしおである。
素人の自分から見ると、とても上手で重みと貫禄ある演技も、本人からすると、どうやら、まだまだ薄っぺらいものであるらしい。
シブがき隊の一人だった本木雅弘は、ほぼ同年代の自分達からすると、急にアイドル路線から飛び出して、一匹狼で、ストイックで、少し異質で、近寄り難いというか、ヴェールに包まれている存在だった。
それが、テレビ欄を見ていると、「スペシャル」で、しかも、仕事の流儀で、出るというのを見て、唯一無二の機会だと感じて見入った。
すると、彼も、五十を境に惑っていたことを知る。
数々の栄誉ある映画に関する表彰と名声を受けた映画「おくりびと」。その中で、主演を演じ、映画と共に、国内外の超級の主演男優賞を受賞したのが、本木雅弘。
さぞかし、順風満帆な俳優になり上がってくれたと、きっとシブがき隊の頃のモッくんを知っている世代は微笑ましく見ていたと思う。
しかし、彼の中では違った。大半の人は、そう聞くと、「ナルシストみたいで、ストイックそうだから、そういう部分が今の彼の印象を作っているだろうし、彼の中の彼を作っていると思う」となるだろう。
実際は、番組を全て見て感じての実際は、「劣等感と承認欲求の高さ」が50歳を過ぎた彼を惑わせていた。
密着取材の中の彼の言葉を、幾つか抜粋してみたいl。
主観的に抜いた言葉であるので、印象操作みたいになるかもしれないが、自分として素直に感じた部分であるし、同じ番組を見て、違う角度や観点から見えた人もいると思うので、一意見となる。
本木雅弘の素直な言葉のつづり
・なんか分かんないけど 自分の次に進むための指針となるような真実が かけらでも写れば
自分でも面白いかなぁって
・50過ぎてから なんとなく 精神的には踏み迷っているっていう感じが なんとなくあるんで
一度 自分を客観的に映されたり ちょっと追いかけられたりすると なにか追い詰められて
出てくるもの見えてくるものはあるのかなっていう薄ら期待はしている
・もともとの自分がすごく凡人であるっていう
・本物のように見える偽物である自分っていうものを ある意味覆い隠すような気分
・空虚と言えば空虚な20代(の頃)
・「もっと楽に生きたら」「自分が疲れない?」っていうふうに言われ続けてきた
分かっちゃいるけど受け入れないで 「あなたは天才だからいいですよ」って
「気づけない人の苦しみ分かります?」っていうみたいなやりとりが結構あって
挙句の果てには「自分のどうしようもなさを人に押し付けないでよ」っていう要するに自分で
自分のどうしようもなさと向き合えよっていう話なんですけどね
・こういう性根が直らないから この心根どうしましょう ほんとに変われない
変われない変われない
・自分は選ばれた人だと思ってないから でもどこかでどんでん返って とんでもない人に
なるかもしれないよね っていうことを自分に期待している
・未知なる自分がきっといると信じている
・何事においても 途上の存在でありたいなっていうふうに素直に思いますけどね
本木雅弘の本音を類推すると自分のヒントにもなってくる
番組を通して、伝わって来たのは、彼本木雅弘氏が、アイドルから俳優業に転じたときから、彼の中では、「自分は選ばれた人ではない」という思いが、ずっと付き纏っていて、それが演技のストイックさに繋がっている。
そして、演じることの天才 樹木希林と出会って更にその思いは大きくなり、一方、自分の存在や周りに与える影響の小ささを痛感して、そこから抜け出した存在となるべく、ずっと自分と闘っていた、戦って来た。
既に、高いレベルの俳優になっているのにもなお、その劣等感に苛まれ、ハードルを高く高くしている。その途中に今なおある。
住む世界の違いはあれど、自分や、我々の世代で、彼と似た感情や、同じ方向の目標を持っている人も多いと思う。
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