「探偵ナイトスクープ」感動・おすすめ・神回3選まとめ

人生・人世・人間関係

こんにちわ。KaibaSAKAMOTOです。

近畿圏では、当たり前に「大の人気番組」ですが、関東圏では、感覚的に、

「知っている人の割合 → 5割以下」

「観ている人の割合 → 2割以下」

です。

今回は、関東圏で育ちながらも、かなり長い間、観てきた中でも、特に、涙ボロボロに流しながら、超感動した神回三話を説明していきます。

「そう言えば、最近、気持ちの良い、心が晴れるような涙を流していないなぁ」という方にはおすすめしたい感動ばなしです。

【その前に…】探偵ナイトスクープとは?

『探偵!ナイトスクープ』とは、

朝日放送テレビの制作により、1988年3月5日から放送されている視聴者参加型のバラエティ番組

です。

数々の笑いと感動を世に送り出した超人気番組です。

テレビ東京「Youは何しに日本へ」では、ドイツ在住のYouカップルが、あまりの面白さに大ファンとなり、生で観覧するために来日して、紆余曲折を経て、夢を果たして帰国していくという密着取材が放映されました。

他局でありながらも、朝日放送とテレビ東京が連携をして、Youカップル2人の夢を実現したことにも感動が生まれました。

ワタシが、この番組を愛する最大の理由は、

  • 綺麗な涙ばかりを見ることができるから
  • 他の番組なら、超感動物語として、練りに練って、事前予告もして、数時間にわたるSP番組として組む内容に、負けじとも劣らない、超絶な神回な話なのにも関わらず、20-30分でまとめて、サクっと流して終わる、清々しい潔さがあるから

です。

「探偵!ナイトスクープ 神回」と検索してもらうと、他の方々も、色んな視点からトップ3に止まらず、50選している記事もあるほどです。

【感動&神回】2012年9月21日放送『おっさんと少年の友情』

これはアンガールズ田中はじめ、多くの方からも推挙される依頼です。

ご依頼:大阪府の主婦の方からのご依頼です。

昨年、主人の勤めていた会社が倒産しました。ふさぎ込む主人を、かねてからの夢だった “北海道をバイクでツーリング” をするための良い機会だと家族全員で快く送り出しました。

そして、一ヶ月間におよぶ旅が終わった帰り道、函館から青森までのフェリー内で、たまたま隣にいた小学生の男の子に話しかけたそうなのです。

「会社が倒産したこと、旅に出る男のロマン、人との出会いの素晴らしさ」を熱く語ったようです。

下船時に、「いろいろ話をしてくれてありがとうございました。」と言ってくれた少年。
あまりにも嬉しかったらしく、旅の思い出の写真を、少年に送ると約束をしました。

帰宅した主人は、写真を編集し、大好きな音楽まで入れて作ったDVDとUSJで買ったターミネーターのケースに入ったキャンディーを送りました。

変に気を遣わせるのもと思い、主人は、住所を「大阪府」だけ書き、ワイルドに男らしく終わるつもりだったのですが、少年がDVDを見てくれたのか、見て、どう思ったのかが気になって仕方がないようなのです。

探偵のみなさん。

どうか主人と分からないようにして、DVDの感想を少年から聞き出してもらえませんか。よろしくお願いします。

ご依頼に対して「たむら探偵」が依頼者と依頼者夫と打ち合わせ

依頼人夫の板倉孝之さんは、その時その少年に、会社が倒産した話から、人との出会いの素晴らしさを涙ぐみながら熱く語ったと言います。

少年の名は「巧くん」。

孝之さんは、「別に合わなくてもいいけど、どう思ったかが知りたい」。

ただ、「行っても少年に会わない」と決意する孝之さん。

「急に会いたいとか言わんといて下さいね」とたむら探偵に言われても、

孝之さん「会わないです」。

いざ青森県へ

巧くんのお母さんに話しを聞くと、「当時、巧くんからそのおじさんとの話は聞いていた」そうです。

しかし、それを聞いたお母さんは、そのときに「見ず知らずのおじさんに住所を教えた」ことを叱りました。

巧くんに「会わないです」と言い張る孝之さんは、ぬいぐるみを着て、巧くんの前に現れることにしました。

作戦として、暑さで困っているところを助けてもらうというものです。

道路わきで着ぐるみを着て倒れている孝之さんに声をかけ続けるたむら探偵。

「助けてー」と助けを求めるたむら探偵に、自転車を止めて近寄る巧くん。

たむら探偵が、「なんか涼しいとこないかなぁ?」と巧くんに尋ねると、

巧くんは、「僕の家まで来れば涼しいよ」と返してくれます。

この状況が、「番組の企画だ」とたむら探偵は巧くんに言い、「なんで止まってくれた?一回素通りして」とたむら探偵が聞くと、

巧くんは「なんかちょっと心配したけど、大丈夫かなっと思って」

少年の家で感動

孝之さんは、ぬいぐるみをまといながら、巧くんに会えたことに、「嬉しい」と感激します。

巧少年の部屋に入れてもらうと、そこには。

机の上に「ターミネーター」のケース。そうです。

孝之さんは巧くんに、写真を編集し、大好きな音楽まで入れて作ったDVDとUSJで買った「ターミネーター」のケースに入ったキャンディーを送りました。

たむら探偵が「USJ行ったん?」と聞くと、

巧くんは「フェリーで会った大阪の人からお土産として送られてきた」と答えます。

「これ大切なものだから机の上に」

続けて、DVDプレーヤーを開けると、孝之さんが作ったDVDが入っており、そのDVDをしっかりと見てくれていました。

DVDを見て、「すごいな」と思ってくれていました。

たむら探偵が「この話はええ話しやでワイルド君」と着ぐるみを着た孝之さんに向かって話しかけると、孝之さんは、輪っかを作って喜びます。

たむら探偵に、なぜ住所を教えたかを聞かれると、

巧くんは、「悪い事とかしなさそうな人だったから」と答え、続けて、

「もし会ったら、お礼ができたら」と言います。

たむら探偵が「もう一回そのおっちゃんに会えるんやったら会ってみたい?」と聞くと、すぐに、

巧くんは「会ってみたい」「頭の中にいつでも思い浮かぶから」と答えます。

優しい、思いやりあふれる巧くんに、しっかりと思いは届いていたのです。

孝之さんは、ぬいぐるみの中で感動して、鼻水が止まらなくなります。

さらに、たむら探偵は、「将来は?」と尋ねます。

「警察官になって探してみたい」「送ってきてくれた人を」

巧くんのお母さんが「こういうものが送られてきて・・・」と言いながら、

差出人住所が「大阪」としか書かれていない伝票を持ってきました。

巧くんは、郵便局へ差出人問い合わせまでもしていたそうなのです。

たむら探偵が「いま願いが叶うなら、何かありますか?」と尋ねると、

巧くんは「もう一回おじさんに会って、話して、もう一回ちゃんとお礼がいいたい」と答えるのです。

急に少年を撫で始めるぬいぐるみ「ワイルド君」。

続けて、少年を抱きしめだします。

さらには、ぬいぐるみを脱ぎ出そうとします。

気持ち分かります。

色々とたむら探偵とやりとりののち、少年の前でかぶり物を脱ぐ孝之さん。

「元気にしてた?」の問いに、うなずく巧くん。

たむら探偵が「誰ですか?」と聞くと、「板倉さん…」と答えます。

巧くんは、澄んだ気持ちで、綺麗な心の涙を流します。

このシーンだけは、忘れられないのです。

涙の流し方も、タイミングも、表情も。

人間、こんなふうに、純粋で、綺麗な心で、涙を流せらるのかなって。

補足

実は、この話には、驚くべき神展開があります。

この巧くん。放送から8年の時が過ぎ、大きくなって、警察官になっていたのです。

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【感動&神回】2015年3月27日放送『幼稚園児、自転車で伊勢へ』

この回も、色んな人が一番の神回と銘打って紹介しています。

また、本作品は、第三回関西ATP賞「優秀賞」に選ばれています。

ご依頼:大阪府に住む「5歳児のご両親」からからのご依頼です。

探偵さんにお願があります。

うちの5歳になる息子は自転車が大好きで、幼稚園の年中の頃には最高30km走ったこともあります。

それでも飽き足らなくなってしまった息子は、最近、我が家から約162km離れた伊勢にあるおじいちゃんの家まで自転車で行くと言い始めました。

どうか息子のチャレンジを叶えるために、息子の伊勢への自転車での道のりを見守って欲しいのです。お願いします。

5歳なのです。小学生にもなっていない弱冠5歳なのです。

5歳で162km。この8文字を頭に叩き込んでスタートです。

コースはどのコースを走ったか定かではありませんので、正確ではないにしても、標高636mまで自転車で登りあがるのは、それはそれは容易なことではありません。

箱根の山は 天下の険 函谷関(かんこくかん)も物ならず万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷前に聳(そび)え後(しりえ)に支(さそ)う

「箱根八里」より

と歌われる箱根でさえ、標高737mですから、それに迫る過酷さです。

一人では危ないからと田村裕探偵が自転車で伴走します。

この田村探偵の、クリティカルの一言や、あえて言わないこと、そっと見守る姿勢、ときに思いっきり励ます姿勢にも、同じ親として見守る”人間らしさ”、底深い “優しさ”がちりばめられており、感動をさらに深めることとなります。

序盤

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まずは大阪市内を颯爽と走ります。

「道ちゃんと調べといてや。でも、一番大切なのは命やけどな」
「二番目は『道』、三番目は『ケガしないで帰ってくること』。」

即座に、「3つ」とか言えるのは、大人でも難しいです。

それを5歳児が、返す言葉で言ってのけるのです。

自転車を漕ぎながら田村探偵が「しんどいなあ」と声をかけると

「人生は大変なんやで!」

「でも頑張るねん、男はそう言うもんやで!」

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田村探偵が「いままで生きて来て一番楽しかったことは何?」と聞くと

「今、探偵さんと一緒に自転車乗れてること。」

自己の30kmを超え、40km、50kmと走り続けるうちに、やすたかくんの表情にも当然疲れが見えはじめます。

ただ、一切泣き言を言わないのです。もう一度確認しておきます。5歳です。

膝が痛いと訴えます。

随行している鍼灸の先生に治療をしてもらい、しばらく休憩してから

「よっしゃ、行こう!今日中に着きたいねん!」

「言い出しっぺの僕が途中で投げ出すようなことは言われへん。」

日も暮れて、いつもの就寝時間をとっくに過ぎ、眠気に襲われたやすたかくんは、ふらふらと自転車もろともに横転してしまいます。

田村探偵が見かねて、後ろから自転車を押してあげるのですが、

「押さんといて。大丈夫やから」

あくまでも自分だけの力で前に進もうとするのです。

しかし、登り坂がきつくなり、やすたかくんも「疲れてきた」と。

中盤

「手が痛い」と言い出し、更に「膝が痛い」と言い出しました。

休憩して、お医者さんにマッサージしてもらい、疲労の激しい箇所にシップを貼って冷やします。

「いつも8時半に寝てるけど10時半まで起きてられそうや」

「信じられへん寒さや」田村探偵がつぶやきます。

「もう無理だ、限界だ」

やすたかくんが疲れ果てて、鷲家のトンネルの手前でこの日は終了です。

64km走り、残り100kmです。

2日目は午前8時半に出発しました。

すぐに急勾配となり、やすたかくんは息が切れてきています。

思わず、「辛いなぁ」と。それもそのはず、急勾配の坂が5km以上続いているのです。

田村探偵は、この間、自身も苦しみながらも、必死に励まします。

高見トンエルを抜けて三重県に入り松阪市内に入ります。

ここから下りとなりますが、伊勢までまだ遥かです。

下りとあって、快調に自転車を進め、午後1時半で100km通過。

残り60kmです。

終盤

しかし、また、登り道が続くと疲れが目立つようになります。

それもそのはず、田村探偵が「週八でバスケやってる俺でもしんどい」と言うほどに大人でも辛い時間帯、距離と坂道、極寒なのです。

これまで気丈に振る舞ってきたやすたかくんも、ここに来て、だんだんとプラスな言葉が出てこなくなってしまいました。

田村探偵が必死に励まし続けます。

2日目も夕方。午後5時22分の時点で残り約30kmです。

やすたかくんも元気を取り戻し、漕ぎ続けます。

残り20kmとなって、伊勢市に到着。

なのですが、また登り坂が立ちはだかります。

田村探偵がやすたか君を励ましますが、

「でも無理」

と元気魂の火が弱くなっていきます。

やすたか君、自転車を押します。ただ、この、「自転車を押す」というのも、体幹の横に重心のある自転車を押す作業です。大人でも、押し続けるのは大変なのに、この段階で、5歳の少年がみずから曳いて押しているのです。

「登りきったらいいことがあるねん!」

田村探偵は、探偵の義務や調査ではない、もう「人」の心から滲み出る “愛” や “情” です。

「もう絶対無理や」

と涙ながらに、それでも自転車を進めます。

「ここで諦めたら、今までのことが全部水の泡になってまう。やすたかやったら絶対に行ける」

田村探偵、いや、田村大先生が励ましつづけます。

残り5km。やすたかくんは涙が止まりません。

「もう、疲れた」

と泣きながら漕ぎ続けます。

「世界一の幼稚園児や!」

「いま、会いたいのは?」

「ママ」

後3.5km。二人は自転車を押してゴールに向かっています。

クライマックス

そしてついに!

漆黒の中、

「やすたかー!!」

明かりのついた一軒の家から呼ぶ声。お母さんです。

文字をタイプしながら、ワタシも、また「わぁーん」と泣いてしまっています。

不安でたまらなかったはずのお母さんも、号泣しながら息子に駆け寄りしっかりと抱き抱えます。

午後9時32分162kmを走り切りました。今の気持ちはという問いに、

いい

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スタジオに戻ると、西田局長、松尾秘書、ざこば師匠、田村探偵、ほかの探偵も泣いています。

ボロボロ泣き崩れるざこば師匠の言葉

「僕は自分が情けない!」

「明日からもっと頑張る!」

が多くの大人の言葉を代弁してくれています。

それは、

どんなに困難な局面でも、前に前に進むために漕ぎ続け

他人のせいや、詭弁をすることなく、なにかに託(かこつ)けて諦めることはない

そんな人間にとっての大切な思いを、生まれてから5年しかまだ生きていない若者から学ばせてもらったということです。

【感動&神回】2018年8月24日放送『思い出のラーメンを母にもう一度』

この回は、反響がすごいものでした。長く、観てきていますが、もう一度、1本だけ観る神回を選べと言われたならば、この回です。

色んな偶然と奇跡が重なり合い、依頼者からの依頼に応えることができた、まるでドラマのような神回です。

そして、あまり知られていませんが、この神回には、実は、さらに、とても衝撃の続きがあるのです。

ご依頼:三重県にお住まいの吉元誠さん46歳調理師の方からのご依頼です。

今回、私たち家族の思い出のラーメンを再現していただきたいのです。10歳のとき、両親の離婚を機に大阪に引越し、母と兄、妹の4人の生活が始まりました。女手一つで3人の子供を知らない土地で育てるのは、並大抵の苦労ではなかったと思います。母は仕事を幾つも掛け持ちしており、朝、私たちが目覚める前に仕事に出掛け、眠った後、深夜に帰ってくるという毎日でした。ですから、この頃、母の顔を見ることがほとんどありませんでした。

しかし、月に三度ほど、深夜に帰宅した母が、寝ている私たちを起こし、すぐ近くにあったラーメン屋さん、画竜軒に連れて行ってくれたのです。

その画竜軒で食べたラーメンは、本当に本当に美味しくて、現在、調理師として働いている私ですが、いまだにこれほどのラーメンに出会ったことがありません。

ラーメンの味もさることながら、画竜軒でのひとときが、母とゆっくり会話することができる唯一の幸せな家族の時間でもあったのです。

あれから30年以上経ちました。今はもう、画竜軒はありません。6年前には兄が病気で亡くなりました。そして、今年、母に癌が見つかり、余命は半年から一年と宣告されました。

そんな母に家族の楽しみでもあった、あの画竜軒のラーメンを食べさせてやりたいのです。何卒、宜しくお願いいたします。

画竜軒の手掛かり

8席ぐらいの、カウンターだけの小さなお店。

コチュジャンを使ったラーメンでコーンを乗せた「コーンコッチ麺」がめちゃめちゃ美味しく人気でした。

どんな感じの大将だったかと思い起こせば、当時、30前後なので、現在、60〜70代と推察されます。

真栄田探偵が、ニセ番組「思い出の味★大調査!」という番組でお母さん吉元兼子さん68歳に接触します。

「もう一度食べたいあの味を教えて欲しくて」と言い終わるや否や、お母さんの口から、「画竜軒やな」と飛び出します。

あまりに直ぐに出たことに驚きながら、マイクを近づけると、「画竜軒のラーメン。もう潰れてないんやけど」。

「コチュジャンの味?コーンコッチが美味しかった」と回顧します。

「人生最後に何が食べたいって言ったら画竜軒だねって話している。」

「もう一度食べられたらどうですか」と尋ねると、お母さんは、すぐさま「幸せ!」と回答しました。

一旦、お母さんと別れて、依頼者誠さんのもとへ。

誠さんに、「何か手掛かりになる情報は」と聞くと、「本当かどうか分からないんですけど、北海道の旭川で、陶芸をやっておられる方が、その人じゃないかっていう噂を聞いたんですけど。」

「かもしれない」というだけの情報で、しかも、その話を聞いたのが、7、8年前ぐらいのこと。

その他の情報は、全くなく、名前も分からないということでした。

画竜軒を探しに

奇跡1:旭川に着いて、街行く人に聞き込みをしようと、歩いていたおじさんに声をかけます。

「もと、大阪でラーメンやっていた人で、陶芸を、いま、やられている人 知らないですか」

おじさん「んやぁ。ここ陶芸の里っていうのが沢山あって、嵐山っていうところがね。陶芸のところが沢山あるんですよ。」

嵐山の場所に着いて、周辺の地図が載った街看板を見つけ、やはり陶芸の店が沢山あることを知るのです。

奇跡2:ふらっと入った「ゆかり陶房」で、真栄田探偵が「人を探していまして。以前、大阪の方で、ラーメン屋さんをやられていて、いま、こちらの方で、もし」と言いかけた途端、「トウジンさんじゃないですか? 知ってますけど。いま、やきもの協会の会長さんです。」と。

直ぐに向かってみると、「登稔窯(とうじんがま)」の案内板がありました。

遠目に黄色っぽい服を着た人影が見えて、真栄田探偵が、遠くから、「ちょっとお話よろしいでしょうか」と聞きながら近づきます。

近づくにつれて、誠さんが目を凝らしながら「大将です」。

いざ近寄って、その人影だった初老の方に、「速水さんという方を探しておりまして」と言うと、無言のまま、自分を指差して、「自分です」との仕草。

それに真栄田探偵と誠さんは思わず、力強く手と手を絡ませます。

「画竜軒」元店主だったという御仁は速水登稔さん63歳。28年前に店を閉めていました。

誠さんが、当時、裏のアパート住宅に住んでいたことを説明して、真栄田探偵が「今回、ちょっとお願いしたいことがございまして」と続け、自宅に入って話すことに。

奇跡3:中に入ると、登稔さん妻の美知子さんも話に加わってくれます。とっても明るい美知子さんが当時の話を盛り上げてくれました。

話題はラーメンの話に戻り、「美味しかったんでしょ。どっかでなんか修行されてたんですか」と尋ねると、「いや、ほとんどしてない。いきなり修行経験もないままに夫婦で始めた店だった」と明かします。

「ちょうど10年」店をやられていました。なぜ、そんな美味しいお店を閉めて、こちらへ来たかについては、「田舎暮らしに憧れて旭川に移住して陶芸家となった」と言います。

真栄田探偵が「それからはラーメン作られてますか?」と聞くと、「こっちに来てからは、外に食べに行くことが多く28年間本格的なラーメンは作っていない」そうです。

誠さんが「唯一、家族で一緒に食卓を囲める場所っていうのが、速水さんのところでした」と言い、「うちの母親が癌になりまして、なんとか、大将のラーメンを食べさせてやりたいと思うんですけど、お願いできますでしょうか」と願い出ます。

大将は、困ったように、「いや、でも、出来ないですよ。同じもの出来ないよ」

誠さんは、頭を下げ、「お願いします」とお願いしようとすると、

横から、美知子さんが、張り上げ気味の大きな声で

お父ちゃんが作ったら、お父ちゃんの、『画竜軒』のラーメンになるんやわ。

と登稔さんに一緒に頼み込んでくれます。

納得したように登稔さんが「うん」と頷くと同時くらいに、美知子さんが

きっと、魔法がかかる

と説得します。

登稔さんは、うんうんと頷きながら、少し照れ臭そうに心を決めた感じになり、

行っといで

と美知子さんに後押しされます。

少し、照れたような表情、心を決めた表情で「はい」と承知してくれました。

「なんとか、行きます。努力します」と登稔さん。涙を流して感謝する誠さん。

「なんか、責任、重大やねぇ」と照れ臭そうに笑う登稔さん。

ほっと胸を撫で下ろす、真栄田探偵と、誠さん。

真栄田探偵が、力を与えてくれた美知子さんにマイクを向けると、

よかった。ええことしよ。なぁ、お父さん」と元気に答えます。

意を決した登稔さんは、「でも2日かかるよ」と真栄田探偵と誠さんに言いました。

「はぁ⁉︎」と驚く真栄田探偵と、カンペを思わず落とすAD。

真栄田探偵は、再度、美知子さんにも、「いいですか、それで」と尋ねると、

ええですよ、アハハハハハハ」と大きな声で笑ってみせました。

旭川から大阪へ

ロケ2日目 真栄田探偵は大阪に戻り、また、登稔さんには旭川からわざわざ大阪に来てもらい、まず向かったのが、かつて「画竜軒」のあった場所。

今は、病院に建て変わっていました。

奇跡4:「どこで作りましょうかね?」と真栄田探偵が尋ねると、登稔さんは、「子供の頃、(画竜軒に)来てた子が、ラーメン屋、この近くでやっているっていう話なんですよ」

すかさず、真栄田探偵が、「そこにお願いしましょう。探しましょう」と乗っかってくれました。

歩いて、そのラーメン屋を見つけるのですが、シャッターが下りて閉まっていました。

「鶴麺」という本格自家製麺のお店です。

でょうどその日の火曜日が定休日だったのです。

誰かいないかどうか確かめるため、裏手に回ってみると、裏口から、人影が見え、その人に主旨を話してみることに。

「オーナーではないんですけど、ぼく、店長なんですよ」と「鶴麺」鶴見本店店長西村正悟さん。

「オーナーは今、ボストンで店やってるんで。日本には居てないんですけども」

さすが真栄田探偵、間髪入れず「ズバリ言いますけれど、厨房を貸してもらいたいんですよ」

鶴麺 TSURUMEN Official Website

奇跡5:「今からですか?」と西村店長。

そこから、電話で、ボストンにいるオーナーに相談してみることになりました。

「鶴麺」オーナーの大西益央さん42歳に連絡が取れました。

*大西さんのTwitterを見つけました→https://twitter.com/PJ_Tsurumen?s=20

奇跡6:「実はちょっとお願いがありまして。良かったら場所、貸してもらえないかっていうことで」と真栄田探偵が事情を説明した後、スマホを登稔さんに手渡して、電話を代わってもらいました。

登稔さんが、少し、ハニカミながら「ああ、こんばんわ。覚えてますぅ?」と言うと、大西さんは、リスペクトしてい方への丁重な姿勢と声質で「はい。勿論、覚えてます。」

大西さん「ぼく 大将のラーメン食べて ほんまにラーメン好きになって。で、ぼくは今 ラーメン屋さんやってます。そういうことやったら、喜んで厨房ぐらいやったら使ってください」と快諾してくれたのです。

「ありがとうね」とかしこまる登稔さん。

大西さん「ぼくが一番食べたいぐらいなんですけどぉ」

大西さん嬉しいこと言ってくれます。わざわざ旭川から来たことを無駄にしない物言いです。本当に。

大西さん「うちの弟子の西村店長に、ちょっと、作り方 盗んどくように言うといてください」

「大西さん、良い人だぁ」、です。そして言い方がまた本当に思いやりがあります。

大西さんは、結構テレビでも取り上げられたことがあります。Twitterはこちらのようです。世界で益々活躍して欲しいです。

「盗んどきまーす」と西村店長も話に花を添えます。

大西さんとの電話を終え、舞台が整うと、登稔さんも、「したら、材料も昔のやつ揃えたいよね」と意気込んでくれます。

奇跡7:真栄田探偵と登稔さんは、材料仕入れのため、当時、鶏ガラや豚骨などを仕入れていた (株)アラカワフードサービスさんを訪ねます。

工場の中の方に、「画竜軒っていうラーメン屋さん知ってます?」と尋ねると、「覚えてます。ぼく配達行ってました」ということで話はトントンと進み、無事、求めていた材料を調達できました。

奇跡8:続いて、当時コチュジャンを仕入れていたカレン商店さんへ向かいます。

「ここや、ここのコッチジャン*やないと、うちの本当の味が出ないです。これこれこれ」。お店の方も、「がんばって作ってください!」と声をかけてくれました。

*お店の商品札に「コッチジャン」とあり。

「いよいよ麺ですね。当時、仕入れていたところがもう無いみたいみたいなんで。ここでちょっとお願いしてみようかなと。」と言って向かった場所が、(株)ツルミ製麺所さん。

ツルミ製麺所社長さんが、業務時間外にも関わらず、特注を作ってくださることになり、頭を下げるお二人。

いよいよ具材は揃い、まずはスープ作りから。

勢いよく大鍋に鶏ガラ類を放り込む登稔さん。その傍に熱心にメモを取る西村店長の姿。

真栄田探偵が西村店長に、登稔さんの作り方の感想を求めると、「大胆です。」と。

大鍋を練炭コンロに移し、じっくりと煮込むことでスープがマイルドになるという。

調理しながら、登稔さんがふと口を開きます。

「もう、10年間のことがいつの間にか体に染み付いているんやね」
「30年ぶりでもそれが出る」と。

鶴麺さんが通常営業する中、厨房の片隅を借りてラーメン作りを進めていきます。

スープが完成して、「30何年前と一緒のはず」と吉元親子を待ち受けます。

誠さんと妹さんが、お母さん兼子さんを連れて、お店に近づいてきます。

「なにが食べたい? ラーメンでもいい?」

そして3人は、「鶴麺」ののれんをくぐって店内へ。

そこには頭にタオルを巻いたラーメン職人登稔さんが腰に両腕を当てて、3人の入店を見守ります。

「どうぞ、こっちに座ってください」と言うと、奥に誠さん、真ん中にお母さんの兼子さん、その隣に妹さんが腰掛けます。

座るや否や、誠さんが「大将、なんか、おすすめのラーメン3つください」と登稔さんに注文します。

「はい。」と静かに返事すると、黙々と、ラーメン作りに取り掛かります。

別の場所で、モニターを見ながら、真栄田探偵と、西村店長が見守ります。

西村店長が、「手際も最高にいいですね。」

スープに麺が入り、完成も近づく頃、カウンター越しに、作っているところを覗き込んでいたお母さんが、「入れる材料も、画竜軒と同じような材料やな」とぼそっと呟きます。

誠さんが「え、そうなん?」と言うと、「だって、コチュジャン入れてコーン入れて ほら」とお母さんが気付き出します。

兼子さん「懐かしいわぁ」
妹さん「ホンマやなぁ」

大将が「じゃ、これ、あの、コチュジャン入った方の『画竜軒のコチュジャン』です」と言いながらカウンター越しにどんぶりを手渡します

その言葉にお母さんは直ぐに反応して、「え? え? 画竜軒知ってんの?」と大将に問います。

「はい」と登稔さんが言うと、「え? ウソ?なんで?」とお母さんは聞きます。

「あ、ぼく やってました」とさりげなく答えます。

「えっっ? 画竜軒の大将? いやぁ、うそや、ほんま? いやぁ、ありがと」とお母さんは涙ぐみながらに続けます。

「いやぁ、嬉しいわぁ。画竜軒のが食べたくて、ずっと。」「いやぁ、ありがとう」

登稔さんは、「今日だけです。今日一日限定。」

お母さんは、目頭をティッシュで暫く押さえて、涙を拭きながらに、この感動に浸っていました。

別の場所で、モニターで見ていた、真栄田探偵、西村店長、二人が映し出されると、二人とも号泣していました。

誠さんは、じっと大将を見つめ、「ありがとう。おいしい」と言葉に気持ちを込めてお礼を言います。

大将も、感極まって、表情を崩して泣くのを堪えながら無言のまま応えます。

「いただきます。」と言って、お母さんは麺をすすると、「画竜軒や」と一言。

「あ、そう? 良かったぁ」と大将もひと安心します。

お母さんの「コーンコッチが食べたいって、昨日、テレビのインタビューで答えたばっかりなの」の言葉に真栄田探偵も大笑いします。

ここで真栄田探偵が店に入り、「探偵ナイトスクープなんです」とネタばらし。

息子 誠さんからの依頼であることを伝えると、「いやぁ、ありがと、誠くん」と誠さんの坊主頭を撫でながら感謝します。

「本当にありがとうございます。私 がんばります」とお母さんが言うと、

真栄田探偵も喜び「ほんと? 良かったねぇ」と誠さんの肩を叩いて労います。

「ちゃんと長生きして。お願いします」と誠さんがお母さんに言うと、お母さんは力強く「はい。長生きします」と言い、

大将にも改めて、「ありがとうございます。ほんに遠いところ。知らなくてごめんね」お礼を言うと、

登稔さんは、また、表情を崩し、涙を堪えながら、涙声で、

「はい。喜んでもらえて良かったです」と返します。

その顔は、涙が溢れそうになるのと同時に、清々しさでいっぱいでした。真栄田探偵と強く握手を交わして終わりました。

カメラがスタジオに戻ると、西田局長は涙ボロボロで、ざこば師匠、真栄田探偵が、ぐっと涙を堪えていました。

西田局長は、「これ、映画化になるで」と言うと、真栄田探偵も、「いや、これ、ほんと、奇跡の連続でしたね」と。

西田局長は、続けて、「おれ、あれ、画竜軒のお父さんやりたい。役で」と言ってみせ、みんなを笑わせたところで終わりました。

あとがき

このお話には、語られていない続きがありました。

あのとき、元気に明るく、登稔さんの背中を押した、美知子さん。

実は、あのとき、既に末期がんで、誠さんのお母さんよりも進行していました。

そののち、美知子さんは亡くなられておられます。

*大将 登稔さんのツイッター見つけました→https://twitter.com/tohjin883?s=20

そうして、観返してみると、登稔さんの、そして、美知子さんの、ひと言ひと言が、重みを増して感じられるのです。

謹んで美知子さんの御冥福をお祈りいたします。

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