国家ぐるみで、「老け込む50代」を「再活躍する50代」に。

人生・人世・人間関係

自分に置き換えても、体の各所で、今までに体験したことのないことを体験する。

足が歩くたびに神経性のズキッという痛みを伴い、階段の上り下りが、精神的に嫌になる。お医者さんに行くと、「加齢によるものですね。この先、一生付き合っていかなければなりませんよ。」ですって。

まだ、50代になって2年です。そんなことを言われても、「はい。そうですか。」と引き下がれない気持ちになります。

「人生100年時代なんですから、あと50年間もの間、痛みを持ち続けることですか。お医者さんも、これまでの固定観念を捨てて、治す方法を編み出すことに力を注いで欲しいです」。

この先の日本は、誰かが、楽をしたり、インチキをすれば、それは、自分のもとへ戻ってくる因果報酬の傾向が強まると考えます。但し、その輩が海外へ逃亡した場合は除きます。

これから、半隠居生活を心待ちにしている50代が、再活躍する場が出来れば、日本は、再浮上できる可能性が残ると考えます。

半分が50代以上の国。セカンドキャリアに挑戦する50代・60代の働き方

セカンドキャリアに留まらず、サードキャリアまで楽しく仕事をできるように仕組み作りしていく必要があると思います。

その際に、決定的に邪魔になってくるのが、ファーストキャリアの際の役職だの、勤務先だの、です。それがいかに、「今後の未来に向かっての世界」に何も意味をなさないことを思い知らせるための、土壌づくりや、雰囲気醸成が、まず第一に必要でしょう。

「あの人は、大企業の役員さんだったんだって」なんて言葉が一切出ないようにする必要があります。そのためには、セカンドキャリアで、生え抜きの若い2年目くらいの世代に、営業でも、処理能力、処理スピードでも、全く歯が立たなかったという苦くて貴重な経験をした方々が、声を大きくして、「前職のキャリアは無意味で自己満でしかない」こと、「もし、それでも、自分のそれを他人に知らしめたい人がいるのなら、一度、若い世代に交じって、令和の仕事をしてみると一瞬で、それがいかに無意味で、生産性や協調性の向上を妨げる」ことかを訴求する場を設けて、短い期間で、飲酒運転が全く認められない時流になったのと同じように、「世の中の当たり前」にしていく必要があると考えます。

長生きと、健康寿命を、真に国民と日本に住む人々(外国国籍の方を含む)で共有して、例えば、55歳以上の人は、出勤は若い世代より30分遅く、退社は若い世代より30分早くでも良いので、ラジオ体操を毎日、近くの小学校に集まって行ったりすることを奨励したりして、国単位で、労働生産人口を維持するべきだと思います。

そして、なにより大切なのが、より生き甲斐と働き甲斐を持って働ける環境づくりだと信じます。

一般に、ファーストキャリアの同期会を行うと、どうしても、出世組の参加率が高くなるという傾向がありますが、何とかして、この類の傾向のない風土の醸成が、日本の明るい未来に、間接的に結びついていく気がします。

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