名作を見ては、日本に生まれて良かったと感慨深く思える。

生活・アイデア

ジブリの数々や、ルパン三世カリオストロの城、未来少年コナン、君の名は。などなど。

海外の映画を見ているとき、目を瞑って見てみると、脳が、「これは海外の映画。これは海外の映画なんだ」と自動的に、無意識的にチューニングを合わせていることに気付きます。

一つ一つのセリフや行動が、「これ、日本人じゃ、この展開で、このセリフはまず出ない」

「えっ、友達にそう出る(そういう行動取る)!?」と感じてしまうことがあります。

分かりやすいところで言うと、「ベストキッド」。最後の場面で、コブラチームのリーダーに勝利したとき、あれだけ卑屈なことをやっていた、敗者の、そのリーダーは、手の平を返したように、ベストキッドの腕を掴み、それを上げて、勝者と称えるシーンがあります。

「ないなぁ、この、露骨で単純な展開」。日本では、清々しさより、逆に嫌味になる気がします。

人の心は、色んな葛藤と、色んな気持ちは複雑で、「以心伝心、行間を読む、わびさび」を古くから重んじてきた日本の人々にとっては、ストレート過ぎる表現には、戸惑うことがあります。

もう一つのシーン。

94年リレハンメルオリンピック。スキージャンプ団体。2回目の原田選手のジャンプ。

日本全体が、金メダルを確信した、その瞬間、まさかの失速。結果、銀メダルに終わりました。

原田選手のジャンプの失敗のあと、他の3人が駆け寄って励まします。落ち込んで屈みこんでいた原田選手は、立ち上がると、苦笑いを見せました。この“笑顔”に対して、のちに、海外の人達は、「なんで笑顔なんだ」と騒ぎ立てたのを記憶しています。

ただ。ただ、日本人なら、あの“笑顔”の裏側というか、あの“笑顔”の無念さが痛いほど分かるし、共感できます。悔しい思いの最骨頂で、あの“笑顔”が出てしまうのです。しかも、原田選手の性格が滲み出ているシーンだっただけに。

自慢でも、エゴでもありません。私達は、世界の標準や、常識とは、少し、変わった感情の表現をします。

それは、日本の独特のものであると思います。それが、良いのか、悪いのかは判断できません。

では、最近の映画、「君の名は」で見てみましょう。最後、三葉は、「私も」と短く言いながら、ニコって涙を浮かべながら、笑います。

このシーン、恐らく、世界だったら、この「シーン」にならないと思います。

涙を浮かべていないと思います。「私もそう思っていた」と言うと思います。

ただ、日本人には、その笑いながら浮かべる涙の意図も、「思っていた」を言わない気持ちも、言っていたら少し興ざめする気持ちも、無意識に理解していると思います。だから、あのシーンに感動を覚えるのだと思います。

世界の人々の中には、当然、それを理解する人々がいます。または、日本人が海外の映画に「これは海外の映画だ」とチューニングを合わすのと同様、「これは、日本の映画だ」とチューニングを合わせて、日本人が感じる感動に同じものを感じる人もいるでしょう。

主観的に、感じるのですが、私たちは、世界を感動させてきた(幾つかの)日本映画の中で、発せられるセリフや、または行動を、その背景や、気持ちを、日本語で、そして、生で感じながら、観ることが出来ていることは、本当にラッキーだと思うのです。

例えば、「千と千尋の神隠し」では、どんな場面にも、そして、エンディングにも、あの湯地宿のイメージがすんなり心に入って下地を作り上げていると思うのです。見ただけで、日本人は、そこがどんな場所なのか、どんな宿なのか、一瞬にしてイメージできているのです。

他の民族の方では、あの湯地宿を見ただけでは、その世界観はイメージできていないと思います。

その結果、恐らく、色んなシーンで感じることは、日本人とは異なっているのかも知れません。

腐れ神が「良きかな」と言って出てきたシーンも、日本人なら、神様って分かりますが、恐らく、海外の方は、「なんだ、これ」と思う人は多いでしょう。

なにが言いたいかと言えば、日本人は、あの世界観や、セリフや、それぞれのキャラクターの行動を瞬時に理解しているのです。しかも、日本語なので、「違う!」や、「そうじゃない!」などの区別やニュアンスも、自然と、無意識に全て感じ取っているのです。

だからこそ、感動や、同情もひとしお強く感じられるのだと思います。

それは、カリオストロの城の一シーン。銭形警部が、峰不二子と息を合わせて、地下の秘密の造幣工場をテレビに映して、「迷い込んで、こんなものを見つけてしまった。どうしよぉう」と白々しく言う場面があったが、恐らく、この単純なシーンでも、日本人は、日本の感覚と日本語のイントネーション、全ての日本人が感じるままに感じ取っているでしょうけれど、これもまた、もしかしたら、海外の方は、海外の方で感じ方が、日本人のそれと違っているかもしれません。

世界的に有名な映画を、日本語で、日本人が感じる感覚のままで観れるというのは、本当に素晴らしいと思います。

一つ勘違いして欲しくはないこととして、海外の映画も同じようなことが言えると理解しています。日本人が感じ取れていないものを、アメリカならアメリカの方は、そのシーンシーンで感じ取っているでしょうし、「あーこれ、分かるぅ」っていう気持ちで観ているのでしょう。

スターウォーズや、ハリーポッターなど、カッコよくてたまらない気持ちは、色んなところにちりばめられた背景(シーンの背景という意味と、バックボーンという意味の背景)、雰囲気によって、普通の日本人が感じ得ないものを、感じているのでしょう。

言いたいことは、世界をも魅了した幾つかの日本の映画を、製作者が顕在的にも、潜在的にも表現しているものをそのまま感じ取れることの喜びがあるということです。日本語で聞き取れて、日本の心で感じ取れて....。

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